まぴ★のPC経験の歴史
生徒さんによく聞かれるのが、「どうやってパソコン覚えたんですか?」「学校とかに通われたんですか?」というようなことです。
実は、私はこんな仕事をしているくせにどんなことでも学校とかに通って習うのが苦手です(^^;
要は、わがままなだけなんですが、まず周りに人がいると集中できないし、自分のペースでできない。
日にちや時間を決められて行くのが嫌なのです(^^;
何曜日の何時からと決まっていても、急にその日はやりたくない気分になるかもしれないし
そんな時にムリムリ行っても、身に付かないし(^^;
一人でやってると、のりのりになればまさに寝食を忘れて没頭してしまいます。
そんな私が、最初にパソコンというものに出会った時からのことを思い出しながら書いていこうかなと思います。
19××年
そのとき何故ワープロパソコンが欲しかったのか、その経緯は思い出せないのですが、
小さい頃家にタイプライターがあって、それでよくアルファベットを打って遊んだりしていたからなのか、
ピアノをしていたので指を使って文字が打てるというのが面白そうだったのか・・・。
当時MSX2というワープロ・パソコンがあって、それを親に買ってもらったのが最初です。
そのMSX2には、ワープロ機能とBASICがあり、モニターはテレビにつないで・・というものでした。
その機械が届いた夕方から朝の10時までずっと、その機械と格闘していました。
とりあえず、ワープロを打てるようになるために、今まで日記帳につけていた日記をそのワープロでつけることにしました。
ある程度、打てるようになったので、今度はBASICをやり、最初はプログラムが書いてある本を
買ってきて、そのまま打ち込んでゲームを作ったり音楽を作ったりしていましたが
そのうち、簡単なプログラムを自分で作ったり音楽を作れるようになりました。
私の部屋のテレビはほとんど、テレビとしての機能を剥奪されているような状態でした。
19××年
もちろん、その当時ブラインドタッチなどという言葉すら知らないし、3本くらいの指を使ってちまちま打ってたのですが、
そのマシンのおかけで大学の卒論もワープロで打ったりして、結構役には立ちましたが
なんと言っても、一番大きかったのは、入力のバイトを始めたことですね。
大学に入った頃、ワープロが打てるというだけで重宝されていた頃だったので、
実はブラインドタッチも出来ないし、速くも打てないのに
「ワープロが出来ます」とほとんどハッタリで、某コンピュータの会社にアルバイトに行きました。
学校は週に2日くらいだし、週に3日くらいはその会社でずっと入力してました。
主に保険会社の伝票を打っていたのですが、今は亡きDOSの一太郎や、花子など
ちょっとビジュアル的な仕事も結構あったりして、新しいソフトが使える仕事だととっても楽しかったなあ。
19××年
大学の時、登録すれば学校のコンピュータ室のコンピュータが使えるということで、
バリバリ文系の私の周りにはもちろん登録するような友達もいなくて、一人で行ったことがありました。
1度だけ使い方のオリエンテーションに行ったのですが、それっきりで、windowsもない時代だし
今から思うとなんかオフコンのような端末機が何台かあって、UNIXマシンだったのかなあ・・・ぐらいしか覚えていません(笑)
あとは、取得単位の中にコンピュータサイエンスというのがあってそれを取ったのですが、
一回くらい授業に出たかな?あの当時はまったくわけのわからない授業でした。不思議に単位はとれましたが(笑)
19××年
私がブラインドタッチを覚えたのは三和銀行に振り込み伝票の入力のバイトに行った時でした。
夕方6時〜9時までの3時間で、スタートのかけ声と共に一斉に始まるパチパチという入力の音。
70台くらいの端末機(かな入力専用機)に向かって70人の人たちが黙々と打ちます。
50分入力したら10分休憩で、ミス率と枚数によって次の週の時給が上がったり下がったりします。
この時の名残で私は未だに、かな入力の方が断然速いのです(笑)
19××年
ブラインドタッチを完全にマスターした私は、そこから色んなところで入力や文書作成のバイトをしました。
普通1つの会社では機種やソフトが決まっていて、そればっかりですよね。
ある程度できるようになると飽きてくるというか、もっと他のこともしたいとか
もっと色んな機械、色んなソフトで色んな業種の文書作成をしたいと思ってしまうのであちこち転々としました。

ほとんど専用機が多かったのですが、旅行会社のパンフレットを作ってる会社で工程表作ったり、
OASYSのレイアウト編集で新聞や本などの入力と編集をしたり。
このレイアウト編集にすごくはまって、その機械を買おうかなと思ったくらいでした。
値段を聞いたら1台100万くらいって言われて断念しましたが(笑)
その頃某予備校で古典のチューターもしてたのですが、そのレイアウト編集で問題集を作ったりして、
出版社とかで働きたいなとかも思ったりしましたね。

学生の頃は夏休みが2ヶ月半くらいあって、2ヶ月半だけ雇ってくれるようなコンピュータの会社のアルバイトなんてなかなかないし、
学生ってことを隠して2ヶ月半社員になるつもりのフリをしてバイトしたこともありました。
いきなり正社員ではなかったのでばれずにすみましたが、2回ほどそんなことをしました・・・。当時の社長さんごめんなさいっ(^^;
19××年
そうそう、この学校嫌いな私が一度だけ1日講習を受けに行ったことがありました。
それを去年ふと思い出したのですが、いつ行ったのかも何も覚えてなくて、それもなんとMacの講習だったんですよね(笑)
たぶんその当時windowsがまだなかったか、DOS/V機が100万くらいしてた頃で
一般ユーザーにはMACという頃だったのかもしれません。
文字の装飾をしたような記憶があるだけで、MACだというのも江坂のアップルセンターというところに行ったのを思い出したので
たぶんMACだったんだろうぐらいのおぼろげなものです(笑)
きっとレイアウト編集にはまってて、レイアウトの仕事をするならMACって思って行ったのかもしれません。
1994年
そんなこんなで、ようやく最初のwindowsパソコンを買いました。
当時38万くらいしてたIBMのPS/V Visionというマシンで、
パソコンでテレビも見れてCDも聞けるマルチメディアパソコンというのがキャッチフレーズの一体型のパソコンです。
かなり安く買えたので購入することになったのですが、そのパソコンはWindows3.1でした。
HDDが230MB、メモリが8Mという今では信じられないようなスペックですがその当時では、それが結構いいやつでした(^^;
そのあと、少ししてからメモりを8M買い足したのですが、Simmの8Mが2万くらいしてました。
そのとき一緒に買ったプリンタはEPSONのMJ800-Cという機種でした。これは年賀状に大活躍でした。

MSX2の頃にもパソコン通信というものには興味があったのですが
とてつもなくお金がかかるという認識だったので、なかなか手が出せず、
そのVisionも、1年くらいはOasysのWindows版で文書作成したり、
色々なソフトをインストールしたりして、パソコンの基本的な使い方を覚えたような感じでした。
ExcelやWORDを入れたのもこの頃で、派遣会社の人にExcelとWORDも出来るなどと
またいつものオーバートークで、バイトを紹介してもらったりしました。
そしてまた色んな会社でバイト料をもらいながらExcelとWORDの勉強をしたのです(笑)
1995年
そして、この夏とうとうモデムを買いました。14400bpsのモデムは安かったのですが、
これから先インターネットとかをすることを考えるのなら28800bpsのモデムの方がいいと知り合いに言われ、288にしました。
すごい時代ですね(笑)ほんの6年前なのに〜。2万ちょいしましたね。そのモデム。
その頃パソコン通信といえばニフティサーブ。PC-VANはちょっと業務向けっぽい感じでした。
それでニフティサーブに入って、チャットルームに入ったのが運の尽き(笑)
その当時パソコン通信やってる人って結構おたく(いい意味で(笑))な人ばっかりで、
それなりに詳しい人がたくさんいて、女の子は少ないし、みんな親切に色々教えてくれるし、
そのときチャットで1つのグループが出来て、そのメンバーと毎日毎日チャットするようになりました。
そのグループは、東京や四国や北海道や色んな地域の人たちで年齢もまちまちで。
それもすごい不思議な感覚で楽しかったし、話の内容も私にとっては知的好奇心が高まるような
ことが沢山あって、もう完全にパソ通依存症候群状態に陥っていました。
わたしのハンドルネームを見かけない日はない!!くらいの勢いでしたね(笑)

今は結構そーいうネットで知り合って犯罪が起きたりとか色々事件になっていますが、
そのときのグループの何人かは未だにずっと友達だったりして、特に、東京の○○さんには、長年お世話になってます(笑)
きっとネット人口が少なかった分、悪い人に当たることもなくラッキーだったのかもしれません。

ただ、その当時インターネットはまだ高くて一般人が出来るような金額でもないし、
パソコン通信の接続料だって1分10円という今から考えると身の毛もよだつ金額で
最初はテレホーダイもなかったし、月10万くらいの請求も何回かあり、約1年くらい
まるでパソ通の接続料のために働いているかのような日々が続きました。
朝までチャットしてるから寝たら二度と起きれないし、バイトは休んでしまうし(^^;
おまけにそのときに60万くらいの借金も出来てしまいました(笑)

まあ、ただそのときがあるから、現在の私があるわけで、そう考えると先行投資かなと、前向きな私(笑)

パソコンはVisionに1Gの外付けHDD付けたりしました。ところがまたこれがなかなか認識しなくて
IBMのサポートセンターの人がとっても親切に、電話で丸一日サポートしてくれたのですが
結局adaptecのスカジーボードが認識しなくて、IBMの純正のスカジーボード買いました。
純正のスカジーボードいくらだっけ?(^^;外付けのHDDは1Gで2万くらいでした。なんでも高かったなあ・・・(^^;
1996年
この年もやはりニフティの日々で、HP(ホームパーティ)を開設していたので(ホームページの掲示板のようなもの)
友達も増え、結束も固まり(笑)、ニフティ内で猛威を奮って?いました(笑)
しかし、このままでは経済破綻は目に見えているし・・・(^^;
そろそろやばいなというその頃、やっと、インターネットが一般の人々に手の出せる値段になりました。

そして、パソコンの方はVisionくんがそろそろ限界かなという感じでした。
去年の末くらいにWindows95が発売されて、パソ通ではその話題でもちきりで
いち早く導入してる人もちらほらいて、私も入れたかったけど、このマシンに95はねえええ・・・(^^;
だってメモリは最大16Mまでだし、一体型なので何の拡張性もないし、
モデムは外付け、HDDは外付け。このまま使い続けるとなんでもかんでも外付け??それにすこぶる遅いし〜っ!!
ってことで、この年の8月パソコンを買い換えました。パソコンはメーカー品ならIBMが好きなので、またまたIBM。
今度は拡張性のあるタワー型のAptivaJ-33です。Win95は搭載されてるし(*^^*)
HDDは1.6Gもあるし、メモリは最初から16Mで、16M足して32Mにして、前の230Mと比べたら、ギガですよ、ギガ!!(笑)
Visionの時の外付けのHDDと合わせたら2.6Gもあって、夢のような大容量!!と思ってた、そんな日々が遠い昔のようです(笑)
モデムは288が内蔵されてるし、結局インターネット始める前に単品のモデムは不要になってしまったなあ・・・(^^; 

そして、この頃EXCEL、WORDはユーザーレベルとしては結構使いこなせるようになっていて、
そーいう系のバイトをしていたのですが9月くらいによく知ってる派遣会社の人がインストラクターのお話を持ってきてくれました。

ずっと家庭教師のバイトしてたことや、予備校でチューターやってたことも知ってて
「教職持ってるし、パソコンも出来るからやったみない?」ということでした。
あたしにとっては、大好きなパソコンを、これまた教えるという好きな職種で満喫できる願ったり叶ったりのお仕事でした。

私がプロバイダと契約してインターネットを始めたのが10月1日。
ニフティと比べると、つなぎ放題で1ヶ月3600円なんて夢のようでした(笑)
何万と来ていた請求額がたった3600円で使い放題だなんて!!インターネットバンザイ!!と叫びたい気持ちでしたねー。

APTIVAくんにCASIOのキーボードをつないだのが12月頃です。
ちょっと前に、MIDIにはまって、シーケンスソフトを使ってマウスでちまちまオタマジャクシ打ち込んで音を作っていました。
私のホームページのトップに流れてる曲は、ジュディマリの「classic」という曲ですが、
この曲は原曲を耳コピして、ここはドラム、ここはスネア、ここはベース、
ギターは3本入れて、と1つ1つ音を作っていったもので、すごい時間と手間がかかっていて
だからなかなかトップページのBGMからはずせないんですよね(^^; あ、あとホームページ内にあるイエモンの「JAM」も耳コピ版です。
その2曲で燃え尽きてしまって、面倒だからキーボードの鍵盤から弾いて曲作っちゃえと思って買ったのが、CASIO TK-550でした。
ただ、その辺からインストラクターの仕事が忙しくなり、キーボードで曲を弾くことはないまま現在押入の隅っこで待機状態です(笑)

そして、ホームページを作って開設したのがこの年の12月。最初はこじんまりとしたホームページでした(笑)
1997年〜1999年
この辺からの仕事の内容は、職歴の欄を見てもらった方が早いです。

パソコンはこの期間にAptivaくんに色々拡張しました。
DiamondのViperV330ってビデオカード買ったり。あれって何のために買ったんだっけ?ゲーム?(笑)
MO買ったのもこの頃かな。外付けの640M対応のやつです。4万ちょいしました。高い〜。
でも今は、何故か230Mまでしか読めなくなってしまって・・・640Mのメディアのデータどうしよう(・・、)
そのときスカジーカードも買い換えたんだった。Ratocって本社が大阪にある会社のカード。
安かったけど、サポートも親切で今でも元気に動いてます(笑)

あとは友達のつてでIDEのHDD1.6Gを譲ってもらって、大容量の4.2Gになりました(笑)

デジカメを買ったのは1997年の10月頃です。35万画素で4万5千円くらいしました。
でもRICOHのピンクの限定モデルで、今でも結構よく撮れてます(笑)

それから、CD-Rも買いました。スカジー接続の内蔵型です。
焼きすぎて、書き込みエラーが多発するくらい使い込みましたね(笑)掃除してないからという説もありますが(^^;

インターネットの方は、288モデムからついにISDNに。ISDNにしたのはかなり早く、1997年の12月です。
世間の人が「ISDNってなに??」と言っている頃だったので、NTTのTAと工事費などで約7万くらいかかりました。
今では「ISDNはブロードバンドには含まれていない」という時代になってしまいましたが(笑)

スキャナーはあったら便利だなあとは思っていましたが、友達から写真用の安いスキャナーを教えてもらって、
1998年の2月頃に買ったのがKodakのフォトスキャナーというやつでした。
写真しか取り込めないし、画質もいまいちでしたが5800円という値段ならまあ許せるかなという感じでした。

98年にWindows98が発売されましたが、かなり長い間95を使ってたような気がします。
世間一般に98が浸透してきて、Officeの97などの授業も増えてきて
それで98にしたんだっけ・・・いつ頃OSを変えたのかは定かではありません。

Aptivaくんは、かなり言うことをよく聞いてくれるパソコンで、
あれだけ駆使したにもかかわらず、HDDがクラッシュすることもなく
3年と7ヶ月の長い期間、公私に渡り大活躍してくれました。だからすごい愛着ありますね(*^^*)
拡張のベイも満タンに詰め込んで空きベイがないくらい拡張したのでAptivaくんも満足してくれたことでしょう(笑)

パソコン通信を初めてから、パソコンのない生活は考えられない状態で
必要最低限度の生活をする行動以外はほとんどパソコンの前に座っているといっても過言ではありません。
一番はまっていた頃は、1日に10時間以上はパソコンの前で何かしらやってたかも(^^;
2000年
長い間お世話になったAptivaくんもそろそろ限界かなと感じるようになってきました。
なにしろ、Pentiumの133だし、巷では、Pentiumはいつの間にかUが出てVになり、Celeronも出るし
たくさんのソフトを入れれば入れるほど、動作は遅いし、起動と終了にものすごく時間がかかるしストレスを感じるようになりました。
それでどうせ新しく作るなら、自分で気に入った部品を買って新しく組み立てようと思ったわけです。

その頃から専門学校で授業をしていたので2月の後半から3月はちょうど春休み。
作るなら、仕事に支障のないこの時期しかないっと思って、2月の中頃から部品を集めて組み立てました。
色々拡張してきたので、中身を見ればなんとなくわかるようなつもりでいましたが
実際1から組み立てるというのは色々な細かい設定などがあり、大変でした。

Aptivaくんを完全解体してしまうのはなんとなく可哀想で、使えそうなものはそのまま継承しました。
といってもHDDとCD−ROMくらいでしたが(^^;

特にこだわったのは、ケースとモニターです(笑)やっぱり見かけからでしょ〜。
というか、せっかく自作するんだから、かわいく仕上げたいと思ったんですよね。
モニターはSONYのVAIOに使われてるモニターと同じタイプのやつでテレビも見れるやつです。
モニター自体にテレビチューナーがついていて、SONYのやつなのでプレステもつなげます(笑)

ケースも日本橋を歩き回って見つけた。ピンクと白のスケルトンのケースです。
実際電源は少ないし、組み立てる時も中がせまくて結構つけにくかったんですが
でも見た目のかわいさで、できあがりにはかなり満足していました。
他にちょっとはりこんだところと言えば、グラフィックカードかな。MilleniumのG400を買いました。
OSは98で、HDDは20Gにしました。そうそう、私はHDDも絶対IBM派です。
これで、HDDは1.6G、1.6G、2G、20Gと4つ内蔵して、CD−ROMとRW、フロッピーと空きベイがなくなるくらい
いっぱいになったので、電源足りるかな・・・とちょっと心配になりました。中の電源分岐させてるし(^^;

それから、12月にプリンターも買い換えました。知ってるお店でまけてもらって6万ジャスト。
印刷の画質にはそこまでこだわらないのでスキャナーとコピーもついてるEPSONのCC−700にしました。

一緒にデジカメも買い換えました。前のデジカメはなんといってもRICOHのペタっと置いて写せる構造がよかったので
結局そのデジカメの後継機にしました。前は35万画素だったのに、今度は334万画素です。桁が違うし(笑)
デジカメは使用頻度が高いので、高くてもまあいいかと思えるのですが、
このカメラは定価108000円のが75000円くらいだったかな。周辺機器の中では一番高かったかも。

とりあえず、自作したパソコンは機嫌よく動いてるような感じでしたが、組み立ててから1年内に
Hardwareモニターで調べるとCPUの温度が80度超えていたり、グラフィックボードがちょっと不安定になってきたりして
問題が潜伏しているような気もしましたが、とりあえず仕事は忙しいし、ヘタにパソコンの内部いじって
仕事できなくなると困るので、なんとかだましだまし使っていました(笑)
2001年
だましだまし使っている「まぴ★1号機」も、時々カラーの砂嵐が出たりハングアップしたりするけど、
大きな問題にはならず、なんとかゴキゲンよく動いている様子。

で、焼きミスがあまりにも多発するので3月にRWをPLEXTORのに買い換えました。今度は焼きミス防止機能がついてて安心!!
ところが、前のRWは内蔵型だったので、スカジー接続だってこと忘れて、ATAPIのを買ってしまったんですよね。
そこで問題発生。まぴ★1号機は、プライマリーとセカンダリーにCD−ROMとHDDが3つつなげてて、
スカジーにはHDD1つとCDRWをつないであったのですが、ATAPIのRWを買ってきてしまったために
HDDを1つはずさなくてはならなくなりました。
一番容量の小さい1.6GのHDDを1つはずして・・・まあ使ってなかったからいいかなと(^^;

そこで今度は夏休みを利用してOSをWindows2000にしました。
2000はWin98のSEやMEより安定してるっていうし、ネットワークのについて色々やりたかったので、2000にしたんだけど
まあちょっと速くなったような気はするかな(笑)心なしか安定してるような気もするし。

あ、そうそうあとは、メモリが大暴落してたので128Mのメモリを1枚買い足しました。それでも256Mなんだけど(^^;

こうやって見てみると、ハード的にはあまり変化のない1年でしたね。でもソフト的にはものかなりの種類と数のソフトを入れた気がする。
それが原因かどうかはわからないですが、MSの中ではまだ安定していると定評のある2000でさえ
年末が近づくにつれどんどん不安定になっていったのでした。


★Version 5.2.1★ established in 1996.12.3